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20191225:夕霧さん誕生日記念


  去年の夕霧さん誕生日記念の纏め。

 

――――――――――

 

【De ce nu dansezi?】

 

 

 冷やかな美貌が印象的な夕霧は長い白銀の長髪を高い位置で結って綺麗なうなじと、美しく鍛えられたしなやかな肉体美を晒し、湯船に浸かっていた。手に掬うお湯は深みのある赤紫で、最初こそ白い浴槽への色移りを気にしていたが……嗅覚を満たすアルコールと初々しく甘酸っぱい葡萄の香りで鈍る思考では現状を楽しむより他はない。

 

「…………」

 

 瞼を綴じれば視界に広がる、乾燥して痩せた大地に広がる豊かな葡萄畑。南大陸の北部に位置するシュッド地方は雨量が少なく、其の乾燥した土地は果実酒の為の葡萄作りに適しているとかいないとか。イフェリア産の葡萄酒と並ぶ高品質を誇るシュッド地方の葡萄酒は値も張り、此のような使い方は税の極みと言えるだろう。農家の事情で売り物にならず廃棄予定だった若い葡萄酒の樽を全て、大金で殴るかの如く買い占めた霧に感謝だ。

 

「ニンゲンの入浴に鼻歌は付き物ではないのか、夕霧」

「……っ!」

 

 不意に耳元で声が聞こえ、気配を意識した瞬間にドバドバドバドバと頭の天辺からヒンヤリした液体を掛けられた。濃厚なアルコールの香りと溶け合う芳醇な柘榴と葡萄の合いまった瑞々しくも甘酸っぱい果実の香り。微かなとろみのある真紅の液体が滝のように身体を伝い落ちて湯船で踊り、湯の色を蘇芳に変えていく。肩越しに振り返り怪訝を露わにしながらも顔を拭った右手の甲に付着した真紅をペロッと舐めると、癖になる味が味覚に広がった。

 

「我がトランシルヴァニアが誇る最高級の酒の新商品だ」

「新商品……」

「下界の物よりも、お前は此方の方が好きだろう?」

 

 何事も上には上が居るものだ。夕霧の美貌よりも無機質な美貌の男――丈が長い濃紺の天鵞絨の上着に首元や袖口のフリルがオシャレな黒いブラウスに同色のズボン。膝丈ブーツ姿――は口端を微かに歪め挑発的に笑う。

 

「吸血鬼が何の用だ」

「其れで睨んでいる心算なら、可愛いものだな。目付きがライラによく似ている」

「何故、お前のような吸血鬼が母を知っている?」

「ライラは美しいヒトだった。忘れるものか。輪廻を経ても変わることのない美しさを……」

 

 少し長めで微かに鬱陶しそうな青みを帯びた黒髪の隙間から見つめる緋色は優しいもので、瞳は真っ直ぐに夕霧を見つめているが、恐らく美貌の男の視界に映る人物は全くの別人であることが窺える。

 

「俺は母様ではない」

 

 バシャッと手桶で蘇芳を掬って掛けるも、陽炎のように揺らいで消えた美貌の男に当たることなく床に落ちた。

 

「水遊びと言うものか。ならば、此れで応戦するとしよう」

 

 姿の見えない美貌の男の色味が滲む低い声がクツクツ笑い、壁際から真紅の液体をバシャッと掛けられる。其れを顔面で受け止めた夕霧がペロッと舌先で唇を舐めた瞬間、眼前に男の美貌が現れ、クイッと顎を上げさせられた。

 

「随分と物欲しそうな顔をするのだな」

 

 息が触れ合い、唇が重なりそうな距離で不敵な笑みを浮かべられ、ドキッと夕霧の心臓が跳ねあがる。ジッと見据える緋色と此れ以上視線を合わせては危険だと本能が警鐘を鳴らすも時すでに遅く。

「……生まれ持った魔力はお前の方が上だが、立場は俺の方が上、か」

「……服が濡れるぞ……」

 

 水面のように揺らめく緋色から視線を逸らすことが出来ない夕霧は苦し紛れに吐き出した台詞に内心で溜息を漏らした。

 

「自身の心配でもしたらどうだ? 夕霧。其れとも、誘っているのか」

「冗談がきつい」

「俺が……いつ、冗談を言ったと? 此のような状況下に於いて、ニンゲンの雄は据え膳を喰うのだろ?」

「自分がニンゲンだとでも思っているのか」

「……揶揄い甲斐のない奴だな」

 

 退屈そうに言いながら手を離した美貌の男は溜息を漏らし、言葉が続く。

 

「夕霧。少し身体を貸せ」

「意味が――」

 

 分からない。と言葉を続けようとしたが、ヒョイッと抱き上げられた挙句の果てにお姫様抱っこをされている状況に気付いた瞬間、思考が停止し、目が丸くなる。

 

「今宵は髪を纏めているお陰で、お前の顔がよく見える」

 

 気分がよさそうに細められる目は真っ直ぐに夕霧を見下ろしていた。居心地の悪さを誤魔化すように顔を逸らし、下ろせ。と返す。だが美貌の男は小さく笑うだけで、夕霧諸共煙が散るように姿を消した。

 

 

    ※    ※    ※

 

 

  場所は変わり、魔界の中でも人間界に近い場所に位置するトランシルヴァニア公国.。風味のあるグレーの石畳が続く町はアイボリーの煉瓦造りの建物が並び、落ち着きのあるオレンジの瓦屋根が連なるアンティーク感に包まれている。青空天井の下で眺めれば長閑な雰囲気に癒されるのだろうが、此処は魔界。明けることのない夜に閉ざされた空は青紫で白い月が退屈そうに満ち欠けを繰り返している。町の至る所に街路樹と薔薇が植えられているが、圧倒的に薔薇の数の方が多い印象を受けた。

 

 擦れ違う吸血鬼達は皆、鼻筋が通ってハッキリした顔立ちばかりで、胸元や袖口にレースやフリルをあしらった華やかなバロック調の装束を纏っている。時折夕霧を見下ろす男の美貌が最も落ち着いており優れていることを実感した。

 

「御機嫌よう、レイン様。彼は……新しい生餌ですか?」

「レイン様、御機嫌よう。……あら、美味しそうな生餌ですわね」

 

 膝を折って挨拶をする女達が妖艶な微笑を浮かべて夕霧を食らうような仕草をしてみせるが、レインと呼ばれた無機質な美貌の男が緋色を向けると頭を下げて足早に去って行く。そんな光景を繰り返しながら行き着いた先は城だった。透き通るようなアイボリーに染まった漆喰の壁に、キャロットオレンジの屋根をした城は物悲しそうな空気を纏っている。

 

 城門を潜った先に広がる庭も薔薇たちが咲き誇り賑やかしているが、ロータリーの中央にある噴水はすっかり枯れ果て、佇む天使像は翼を捥がれ、首を失い、差し出す両手は肘から先の損傷が激しく原型を留めていない。近くで見れば見るほど城が纏う空気は廃墟とよく似ており、行き交う者達が人外であることを強く実感せざるを得なかった。

 

 広さは宵闇の居城より二回り広い程度だろうか。エントランスは吹き抜けになっており、ホワイトの壁に、床や柱、ドアや階段の手すりなどはダークブラウンで落ち着いた空気に満たされており、廊下の至る所にも薔薇が飾られ甘ったるい匂いが漂っている。時折見掛ける絵画は風景ばかりで、どれも夕霧が見覚えのある景色が映されていた。

 

「いつになったら、俺は解放されるんだ?」

 

 控え目に声を掛けると冷めた緋色が夕霧を見て、とある部屋の前で足を止める。ギィイイ……と蝶番を軋ませながら独りでに開く扉の先は客室だろうか? 壁に備え付けのクローゼット。一人用のイスとテーブル。ダブルのベッド、絨毯といった具合に家具は少ないが、どれもバロック様式の装飾を施されており、矢張り此処にも薔薇が飾られていた。

 

「薔薇だらけだな」

 

 と言った瞬間に、ふと、此の部屋に飾られた薔薇だけが半八重平咲の蒼薔薇であることに気付く。そして此の薔薇は――。

 

「イスカータに自生ていた月光花と呼ばれる花だ。見覚えがあるだろう?」

 

 無機質な美貌の男は夕霧を絨毯の上におろしながら続ける。

 

「月夜の晩にだけ開花し、年に一度、最も美しい満月の夜にのみ蒼白く輝く種を産み落とす珍しい花。神代の頃にイスカータの建国を祝い、守護天使が送ったと言われている。現存する月光花は全て、お前の弟が作った複製だ」

「霧が?」

 

 反射的に視線を蒼薔薇から美貌の男に移す。

 

「ああ。……原種と違い複製は手を掛けてやらねば種を産まないが、色合いも、花弁も、香りも、上出来だ」

 

 満足そうに口元を緩める美貌の男は更に言葉を続けた。

 

「此の花はお前の母、ライラが愛した花だ」

「……何故、母をライラと呼ぶ?」

「俺が出会った頃、彼女はライラと呼ばれていた」

「…………」

 

 夕霧は視線に怪訝を浮かべるが、美貌の男は気にすることなくベッドの上に置かれていた箱から薄青に染めたシルク生地を使用したハイネックの袖なしエンパイアラインドレス――背面が大胆に開いている――を取り出し、着替えろ。と手渡す。

 

「俺に女装をさせる為に、此処へ連れて来たのか」

「ああ、そうだ」

 

 すんなり肯定されて言葉を無くしていると、数回ノックの後にクラシカルなメイド服を纏った女が二人室内に入ってくる。後は任せた。と言い残して立ち去る美貌の男。夕霧は拒むことを忘れるほどに停止した思考の儘、身支度を整えられていく。

 

 

    ※    ※    ※

 

 

 蒼い灯が揺れる蝋燭が燭台に佇むダンスホール。交響楽団による真夜中の静寂と月光を彷彿させるワルツが響く。

 

「何なんだ、此れは……」

 

 煌びやかなドレスで着飾った女とタキシード姿の男が二人一組になり円舞するのを少し離れた所から眺めていた夕霧――白銀の長髪は高い位置でお団子上に纏められ綺麗なうなじを晒し、蒼薔薇の髪飾りをつけられ化粧まで施されている――は深い溜息を漏らした。

 

「律儀に俺を待っていたのか」

 

 背後から聞こえた色味のある落ち着いた声。振り返ると美貌の男――黒の燕尾服を纏い、青みを帯びた黒の長髪を低い位置でゆったりと赤いリボンで結っている――が。

 

「先に楽しんでくれてよかったのだが」

 

 相向かうように立つ美貌の男は夕霧よりも頭一個分は確実に背が高く、必然的に見上げる形になる。すっと伸びった腕が夕霧の髪飾りを直し、白銀の前髪を整えた。落ち着きが崩れていくのを取り繕うように顔を逸らすと――。

 

「夕霧」

 

 顎に触れた手がクイッと強制的に顔を上げさせ、二つの緋色が交わった。

 

「ライラによく似ている」

「……霧の方が、母様に似ている」

「確かにそうだが……お前は俺が初めて会った時のライラによく似ている」

「……そんな目で俺を見るな」

 

 視線だけを逸らす。

 

「俺はどんな顔でお前を見ている? 夕霧。見せてくれないか」

 

 ジッと凍えそうなほどに冷めた緋色が覗き込む。再び二つの緋色が重なった瞬間、夕霧は視線を逸らすことが出来なくなった。

 

「……俺は、母様ではない」

「知っているさ、夕霧。お前は俺の――」

「っ――」

 

 背後からやって来て通り過ぎた数名の女の内、一人が肩越しに振り返りクスクス笑いながら、ごめんあそばせ。と言い残して去って行く。ぶつかられた衝撃で美貌の男の胸元へ飛び込んだ夕霧は抱き留められた現状を察するや否や、背後に胡瓜を置かれた猫の如く飛び退き距離を取った。

 

「俺と踊れ。夕霧」

 

 美貌の男は片膝を着き、恭しく夕霧の手を取り甲に唇を落とす。保有する魔力の差というものなのだろうか。今すぐにでも其の手を振り払ってしまいたい衝動を覚えたが、夕霧が其れを実行することはなく、深い溜息を漏らす。

 

「……一曲だけなら……」

 

 返答を受けた美貌の男は美しく笑う。

 

「夕霧。皆がお前を見ているぞ」

「…………」

「お前の持つ美しさを引き立たせてやったのだから、当然だな」

「……誰も頼んでいない」

「頼まれた覚えもない。……此の儘、お前を帰らせるのは惜しい。俺の生餌にならないか。何処の誰よりも優遇してやろう」

「断る。其れに、一曲だけと言った心算だ。何曲踊らせる気なんだ? こういうのは、好きじゃない……」

「お前も貴族の端くれだろう? 足腰が立たなくなるまで踊り狂えばよい」

「……ヘルシングの視線が痛い」

「気にするな。アイツは――」

 

 冷めた緋色がヘルシング――十八歳くらいの少年――を一瞥した。

 

「ただの生餌だ。其れ以上でも、其れ以下でもない」

「……彼が不憫だな」

「再三、生餌程度の価値しかないと単刀直入に伝えている。アイツは其れを承知で、俺を恋人と称しているだけだ。夢を与えてやっているのだから、感謝されて然るべきだろう?」

「だからって――」

「夕霧」

 

 ふと美貌の男は動きを止めて夕霧の腕を引き寄せて抱き、まるで口付けるかのように際どい距離まで顔を近付け、形のよい唇で囁く。

 

「今は俺と踊っているのだから、他の事を考えるな。其れとも、俺以外の事を考えられなくしてやろうか」

 

 此の光景を目撃した者達は皆、口付けを交わしているのだと錯覚しただろう。夕霧が無を湛えた視線をヘルシングに向けると、案の定下唇を噛み締め、顎の表面を梅干しに擬態させ、埴輪のような何とも言い難い視線を此方に向けているのが視界に映る。

 

「面白いだろ? 俺達魔族はヒトの心が手に取るように見えるが、アイツは直ぐに顔に出るから態々覗く必要もないし、眺めていても飽き難い」

「……ヘルシングは玩具じゃない」

「随分と他人に優しいのだな、夕霧」

「別にそんなんじゃ――」

「お前がどうに思おうと、俺にとっては玩具も同然だがな」

 

 退屈そうに美貌の男は言葉を続けた。

 

「ヘルシングの血筋は神代まで遡れば天使も同じ。今でさえヒトと交わり薄れてはいるが、上質で強い魔力は健在だ。良質な糧をみすみす手放すのは惜しいだろ? お前も飲んでみるとよい。我がトランシルヴァニアの酒を気に入ってくれたのは嬉しく思うが、其れ以上に癖になるぞ」

 

 美貌の男は妖艶に笑う。此れ以上視線を重ねては危険だと判断した夕霧は溜息を漏らし、帰る。と言い残して美貌の男の手を振り払い、ホールを出ようと歩み始めた。然し周囲で踊っていた者達が次々に進路を塞ぎ、強行突破をしようとした夕霧が紅蓮を呼び寄せるよりも早く、後方から頭部を抑えられて強制的に組み敷かれてしまう。此れには流石にヘルシングも動こうとしたが、近くに居た赤黒い長髪の鋭い美貌の男に制され、不安そうに此方を見ている。

 

「夕霧。お前だからとて、無礼は許さんぞ」

 

 頭部を抑える指先に力が籠り、ミシィ……と頭蓋骨が軋む。

 

「此の儘、俺が腕を引けばお前の肩が外れ、片膝に体重を掛ければお前の背骨が折れ、お前は俺の餌となる。其れよりも先に、此の儘頭蓋骨を割り、じっくり、ゆっくり時間を掛けてお前の脳味噌を犯してやろうか」

「先に邪魔したのは其方だろ」

「久世の当主から報告は受けていたので、知っている。お前は普通のニンゲンに比べて感覚が鈍いらしいが、脳を直接弄られると――」

「悪かった。……俺が、悪かった。ごめんなさい……もう、しません。だから赦してください。お願い、します」

「お願いされる義理はない。お前を許すか否かを決めるのは俺だからな」

「…………」

 

 夕霧は諦めを浮かべた溜息を漏らす。

 

「お前の足腰が使い物にならなくなるまで、俺に付き合え。そうしたら赦してやろう」

「……分かった」

 

 美貌の男は満足そうに口元を歪め、夕霧を丁重に起き上がらせる。

 

「髪が乱れてしまったな。少し休憩をしよう」

「……!」

 

 美貌の男はヒョイッと夕霧をお姫様抱っこして歩き出す。

 

「……解放する気がないのか」

「分かり切った事を聞くな」

「卑怯者」

「そんな口を利いてよいと思っているのか、夕霧」

 

 冷やかな緋色が夕霧を見た。

 

「お前はライラにとてもよく似ている。実験に立ち会わなかった事を後悔しているのだが――」

「其の話はやめ……て、ください」

 

 借りてきた猫の如く大人しくなった夕霧は無を湛えた表情を保ってはいるが、緋色は暗く沈んでいる。二人が沈黙した儘最初の客間に戻ると、窓の近くに鏡台と専用の椅子が増えている事に気付く。美貌の男は夕霧を椅子に座らせ、蒼薔薇の髪飾りを取り、乱れた纏め髪を固定る紐やらピンやらを全て取り払い、白銀を流す。確かに頭髪をブラシで撫でられている筈なのに、鏡に映るのはメイクを施された夕霧だけ。

 

「夕霧」

「……はい」

「脅すような真似をして、悪かった」

 

 夕霧が答えない間も白銀の長髪は編み込みを駆使したハーフアップに整えられ、先程とは形の違う蒼薔薇の髪飾りがつけられた。

 

「……酒が飲みたい。魔界の酒じゃないと、酔えないから」

「嫌と言うほど飲ませてやろう。だが、其の前に――」

 

 パチン。と美貌の男が指を鳴らすと、一瞬にして空間が歪み、次の瞬間には満月が見下ろす薔薇園が視界に映る。其処で栽培されているのは月光花と呼ばれる蒼薔薇で、美貌の男が一輪、摘み取った。花弁の中央に鎮座する蒼白い雫型の宝石に見える物が種で、月光を受けてオパールのように輝いている。其れを其の儘髪飾りの隣に添え、満足そうに表情を緩めた美貌の男はそっと夕霧の頬を撫でた。

 

「俺がお前にしてやれる事は、そう多くない。教えてやれるのは獲物の誘い方だけだ。だが、いつだってお前の幸福を祈っていた。其れは此れから先も、変わりない」

「……俺が母様に似ている、からか」

「お前が納得するのなら、そういう事にしておこう」

 

 美貌の男は笑う。

 

「De ce nu dansezi?」

 

 美貌の男は片膝を着き、恭しく夕霧の手を取り甲に唇を落とす。上目に見つめてくる緋色は柔らかい。

 

「da」

 

 夕霧は口元を小さく緩めて返事をする。

 

 風に乗って運ばれてくる、真夜中の静寂と月光を彷彿させるワルツに合わせ、優雅に踊る二つの影。そんな光景をテラスから眺めていた別の二人が安堵に胸を撫で下ろした事に誰が気付こうか。

 

「夕霧」

 

 聴覚に届く色味のある優しい声。リードする為に添えられた手から伝わる、何処か懐かしい、冷えたぬくもり。ジッと夕霧を見据える穏やかな緋色。其の全てがこそばゆくて、居心地悪いと判断する原因に気付いた夕霧は、内心で苦笑しながらも緩む表情を引き締める為に口を堅く閉ざす。

 

 暫くして踊り飽きた二人は最初の客間に戻り着替え――美貌の男は最初と同じ服装。夕霧はメイクを落とし蒼地に白糸で落ち着いた風合いのビクトリア調の刺繍が施されたフロックコート姿――を済ませ、美貌の男は当たり年のトランシルヴァニア特産の葡萄酒――人間が口にしたら危険なほどに度数が高い魔族専用――の中で最も良質なボトルを夕霧に与えて暫く経った頃。

 

「……随分と、美味そうに飲むのだな」

「ああ……美味い……」

 

 鏡台の椅子に座って三本目を空にしてかなり思考が緩んだ夕霧はにんまり笑う。

 

「……だからと言って、ボトルから直接飲むのは品がないぞ。夕霧」

「ん……。飲酒しか趣味がないんだ。大目に見てくれ……」

 

 拗ねるような、甘えるような表情と仕草で美貌の男を見て、美貌の男は腕を組みながらジッと夕霧を見据えて口を開く。

 

「其れなら仕方ない。心行くまで飲むとよい」

「……んぅ……」

「つまみは、要らないのか」

「ん……要らない……」

 

 ボトルの飲み口に口をつけ、ゴクゴク喉を鳴らして嚥下する夕霧の頬は紅葉し、眼球はすっかり潤み宝玉のよう。飲み口から離れて嬉しそうに緩む口元から覗く犬歯。時折美貌の男を見る緋色は穏やかに細められた。

 

「ふぁ……ぁ……」

 

 顔をクシャッと歪めて見せる大きな欠伸。むぅ……。と不満そうな声を漏らしながら夕霧は片手で眠たそうに目を擦る。

 

「おいで、夕霧」

 

 ベッドサイドに座っていた美貌の男は腰をあげ、近付いてきた夕霧からボルトを奪って素早く床に置き、上着と靴を脱がせてベッドへ横たわらせた。モゾモゾ動く夕霧は熱いと漏らして飾り襟のフリルを取り、白いブラウスのボタンを上から三つ外してスポット脱ぎ捨てた。流石に美貌の男は豹変ぶりに目を疑ったが、小さく苦笑をして脱ぎ捨てられたブラウスと飾り襟を拾い、フロックコート諸共一人用の机に付属している椅子の背凭れに引っ掛ける。

 

「……美味かった」

 

 ふかふかの枕にうつ伏せで寄りかかる夕霧は余韻に浸りながら瞼を閉ざす。

 

「ゆっくりおやすみ、夕霧」

「……何処に行く?」

「眠りの妨げになっては困るので自室へ戻る。起きた頃に――」

「行かないでくれ」

 

 上半身を起き上がらせた夕霧はジッと美貌の男を見据える。

 

「独りにするな」

「……仕方のない子だ」

 

 満更でもなさそうに溜息を漏らした美貌の男は上着とブーツを脱ぎ、夕霧の隣へ横になった。

 

「大きくなったな、夕霧」

 

 穏やかな声音が言いながら白銀の髪を撫でる。

 

「苦労を掛けた」

「ん……」

 

 白く長い睫毛が縁取る瞼を閉ざした儘もぞもぞ美貌の男にすり寄り、蹲るような体勢でピタッと密着した夕霧は秒速で眠りへ落ち、すー、すー。と穏やかな寝息を立てた。

 

「誕生日おめでとう。夕霧」

 

 ちゅ。と額に唇を落とす。

 

「……んぅ……父、様……」

 

 ギュッと掴まれる服の裾。

 

 美貌の男は小さく微笑みもう一度、今度は頬に唇を落とした。

 

 レインは夕霧が深い眠りに落ちたのを確認し、身体を冷やさないように掛布団で包み抱き上げる。向かうは宵闇の居城だ。

 

 

   終

 

 【後日譚】

 

 

 薄暗い寝室に侵入すると、ベッドサイドに座っていた黒い影が動く。

 

「タナトスか」

 

 タナトスと呼ばれた漆黒のローブを纏い、口元しか表情が窺えない十八歳くらいの少年は小走りに近付いて来て、眠る夕霧を丁寧に抱かかえ、ベッドに運ぶ。

 

「ユキト、デス。何度言えば覚えるンデスカ? お爺チャン」

「ニンゲンの真似事か。大分長いな」

「そんな事ヨリ、久し振りの父子関係はドウ、デシタ?」

「悪くはない」

 

 ギシィ……とスプリングを軋ませベッドサイドに腰をおろし、白銀を撫でた。

 

「寝ボケていただけだと思うが、初めて夕霧に父と呼ばれた気がした。帰すのが惜しいくらいだ」

 

 俺を呼んだとも限らないが。と退屈そうに付け足し、更に言葉を続ける。

 

「夕霧が居ない間、双子はどう過ごしていた?」

「ご心配なク。何が変わるでもなく、仲睦まじく過ごしていマシタ」

「そうか。……お前は夕霧の豹変ぶりをいつも見ているのか」

「ハイ。最初は吃驚しマシタケド……」

「お前は、俺よりも近くで夕霧の成長を見守れたのだな」

「ハイ。至極幸せデス」

 

 にんまり笑う。

 

「ライラにも、見せてやりたかった」

「シルフィデサンは――」

「んぅ……」

 

 もぞっと動いた夕霧が寝返りを打ち、背を向ける。

 

「……初めは気乗りしない酒造りだったが、夕霧が美味そうに飲むのを眺めていたら、造らせてよかったとさえ、思っている」

「アノ伯爵はニンゲンの真似事が好きデスカラネ」

「夕霧が起きたら、渡しておいてくれ」

 

 レインは何処からともなくトランシルヴァニア特産の葡萄酒で満たされたワイン樽を取り出し床に置く。

 

「其れと――」

 

 次に取り出したのはオパールのように輝く蒼白い種を産んだ蒼薔薇。

 

「月光花、育てていたンデスカ」

「ああ。久世の当主から貰った一株が、今では園を作れるほどに繁殖したぞ」

「レインは薔薇の手入れだけはマメデスヨネ」

 

 感心の溜息が漏れた。

 

「では、よろしく頼む」

「ハイ。確カニお預かりシマシタ」

 

 空気に溶けるように消える姿を見送り、視線を夕霧へ向ける。

 

「レインがあンなに機嫌がイイなンて。夕霧サン、貴方は――」

 

 不意に伸びた夕霧の腕が頭部を引き寄せ、タナトスは蒼薔薇を踏み潰さないように片手を高く上げた。どうやら夕霧は寝ぼけているらしく、

 

「……霧。其れ以上行くにゃ。危ない……」

 

 寝言を漏らす。

 

「澪……其れは、オオサンショウウオだ……」

「…………」

 

 夕霧は相当気分よく眠れているのだろう。珍しい現象にタナトスは穏やかに笑う。

 

「月光花の花言葉は、『祝福』、『繁栄』、『不可能を可能にする』、『秘めた心』」

 

 そして『祈り』。

 

「おやすみなさい、夕霧サン。よい夢を」

 

 腕から抜け出して蒼薔薇を枕元に添え、ベッドに上がり込み布団に潜り込んだ。

 

 

   終

――――――――――

あとがき

 

 閲覧ありがとうございます。

 誤字脱字ごめんなさい。

 

 夕霧さんの誕生日は十二月二五日です。おめでとうございます。

 

20191211

 

 柊木あめ。

おまけ

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