【信仰に絶望した男とクラウディオ大司祭の話】
此の日、世界から太陽が消えた。明確に言えば日食が起こっているだけなのだが、太陽は光である神のシンボルとも呼べる存在であり、本来其処に在るべき姿が一時的にでも隠れる事で陰の気が強まり、魔族・魔物達の血は満月以上に騒ぎ、神の目を盗んだ悪魔達も大人しくしていない。神の加護下である程度は抑えられていた人々の霊障も、此の時ばかりは積年の恨みを晴らすかの如く人々に災いを齎した。
此処は神の代行者が管轄する敷地内の一角に在る庭園。様々な薔薇が咲き誇り、純白の蝶が飛び交う美しい庭園も例外なく日の当たらぬ場所と化していた。
「おやおや。幾ら信徒とは言えど、此のような奥地まで踏み入ることは許可していませんよ」
そう言った男の声音と表情は穏やかだ。
「……クラウディオ大司祭様……俺は、貴方を罰しに来た……」
弱々しい声音で言うのは痩せこけた男。目の周りは窪み濃い隈が浮かび、手には折り畳み式のナイフが握られている。
「では問いましょう。私の罪とは何ですか」
「神など実在しない!」
血走った目でクラウディオを睨みつける男は突如叫び出す。
「貴方は実在しない存在を洗脳によって大勢に信じこませ、信仰を強要した! 神は居ない。天使も居ない。どんなに祈りを捧げたって、幾ら信仰を続けたって、救いなど何一つない! 四十年。俺は四十年も熱心に祈りを捧げてきた。貴方の言葉に耳を傾け、ただ直向きに、信心してきたっ!」
「そうですか」
一切動じることなくクラウディオは穏やかな微笑を浮かべている。
「何が、神は平等だっ! 世の中不公平だらけじゃないかっ!」
「…………」
哀れみを浮かべた紫水晶の瞳でジッと見据えると、痩せこけた男の肩が小さく跳ねた。クラウディオは一歩。また一歩と距離を詰めながら言葉を紡ぐ。
「神は信心さえも関係なく、我々に様々な恩寵を与えてくださっています。何気なく行う日々の生も其の一つです。如何なる時も、神の平等は不変です。我々は其の上に生かされているのです。貴方の言う不公平とは、神が齎す平等とは関係のない話です」
クラウディオは謳うように言葉を続ける。
「ヒトは皆、数ある選択肢の中から何かを選び、何かを切り捨てています。選ぶことこそ神がニンゲンに与えた唯一無二の自由であり、選び取った選択肢の重なりで築かれた未来が今なのです。救われたくば、願いなさい。天使を通して神に救いを望み、救いの為の選択肢を選び取るのです」
「求めたさっ! 今日までずっと、救いを求めて信心してきたさっ! 今まで何も変わらなかった! 貴方達は嘘吐きだ! 貴方を殺して、俺が他の信徒の目を醒ましてやるんだっ!」
ナイフを持つ手に力が籠る。クラウディオは溜息を漏らして口を開く。
「いったい、貴方はどれ程の年月、信仰を続けてきたのですか。何故、今日になるまで気付かないのです。貴方は既に、救いの恩寵を授けられているというのに……」
「何が救いだ! 宗教なんか所詮インチキじゃないか!」
痩せこけた男は声を張り上げる。
「嗚呼、嘆かわしや。我々の言葉は何一つ、届いていなかったのですね。我々こそが、神よりニンゲン達に与えられた救いと呼ばれる恩寵であり、救いを求める者達へ神が与えた救いに通じる選択肢の一つの形なのです」
「俺は何も間違っていないっ! ちゃんと、言われた通りに信仰を続けてきたっ! 間違っているのは貴方だぁっ!」
悲痛を浮かべて痩せこけた男は叫ぶ。
「信仰とは、神を絶対の存在であると信じて疑わず、尊ぶ行為です」
クラウディオは謳うように言葉を紡ぐ。
「上辺だけの信仰はただの虚飾であり、自己満足に過ぎません。今の貴方は信仰者という立場の自分に陶酔しているだけです」
「結局俺が全部悪いと言うのかっ!?」
「信仰者だと言い張るのなら、他を羨み、妬み、過ち全ての責任を他へ求める前に、まずは己の行動を見直すべきではありませんか」
そう言ったクラウディオの声音も、表情も、底なしに穏やさを湛えているが、痩せこけた男を見据える眼差しには深層を見透かすような鋭利さが滲んでいる。
「救われないと嘆く前に、天使と対話なさい。己を見つめ直しなさい。神は如何なる時も人心の奥底を覗き見ているのです。虚飾を脱ぎ捨て、己の間違いを正し受け入れるのです。其れでも嘆きが止まぬのなら、天使と対話を繰り返し、祈る方法を変えるのです。然すれば新たな道が開かれるでしょう」
「……俺は、何処で、何を間違っていたのでしょう、大司祭様。どうか、どうか教えてください、大司祭様。どうかお言葉を授けてください!」
「私にできるのは、救いに通じる道を示し、救いを齎す選択肢を与えることだけです。救われるも、救われないも、全ては貴方の手に委ねられています」
「う……うぅ……俺はただ、救われたいだけなのに……貴方なら救ってくれると、思ったのに……――」
「己の信仰を疑ってはなりません。悪魔につけ入る隙を与えてはなりません。天使は常に貴方の傍に居り、生末を見守っているのです。いかなる時も貴方の頭上に天使を通して神の加護がある事を忘れてはなりません。我々の神を信じなさい。悪魔の声に耳を傾けてはなりません。」
空から射す一筋の光がクラウディオを照らす。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ――」
カランと小さな音を立ててナイフが落ちる。
「嗚呼、嗚呼っ! 大司祭様、俺は貴方をっ! なんて恐れ多いことをっ!」
徐々に太陽が光を取り戻し、地上をゆっくり照らしていく中、其の場に膝を着いてボロボロと泣きながら項垂れる痩せこけた男に近付き、頭に手を翳す。
「私は貴方の罪を赦します。神は如何なる時でも貴方を見守っています。貴方が天使の導きによって神の御心に沿い、一刻も早く救われるよう、祈りましょう。貴方の傍らに守護天使の加護があらんことを」
「っ――、ありがとうございますっ、ありがとうございますっ!」
地面に額を擦りつけながら、痩せこけた男は何度も、何度も繰り返した。クラウディオは笑みを深めて痩せこけた男を一瞥し、踵を返して離れていく。
「ああ、そうだ」
途中で立ち止まり、振り返ることなく言葉を紡ぐ。
「此の世界は一種の牢獄です。我々は神の地上代行者としてニンゲン達が神の御心に沿い生きるよう、監視管理をしてきました。其れほどまでにニンゲン達の魂は曇り、穢れているのです。一切の曇り無き清らかな魂を持つニンゲンだけなら、創造主たる神の実在を絶対とし、素直に従い我々が監視管理をする必要さえもないのです」
「……おっしゃる意味が、分かりません……」
「曇りが晴れ、穢れの少ない魂ほど神に近く、穢れを積み重ね曇りの深い魂ほど神から遠きます。幾ら救いを求めたところで、神でさえも手が届かないことがあるのです」
「そんな……其れじゃあやっぱり、幾ら信仰を続けても、俺達が救われない事もあるってことじゃないですかっ!」
「言ったでしょう。我々は救いを求める者達へ神が与えた救いに通じる選択肢の一つの形だと。其れはどの宗教も同じです。多くが己の罪の深さを知り、心を改め徳を積むことで罪が許され救いへ通じると説きますが、結局のところ、信仰する者がどれだけ教えを理解して正しい選択肢を選び、行動をするかで結果が変わるのです」
「…………」
痩せこけた男の顔に絶望が浮かぶのを察したクラウディオは穏やかさを湛えた儘、ゆっくりと言葉を続けた。
「何故、此の話をするのか……分かりませんか?」
「……どうか、教えてください……」
「貴方は此の場に立ち入ることで禁を破り、聖域を犯しているのです。私は貴方の罪を赦しましたが、貴方は罰を受け、魂の穢れを祓う必要があります」
「……!」
「赦した罪をいつまでも責めることは致しません。ですが罪が罪であり、罰が罰であるように、赦しは赦しでしかないのです」
どこまでも穏やかにクラウディオが言い終わるや否や、白を基調としたカソックではあるが見慣れない装飾を纏った二人の男達が何処からともなく現れ、痩せこけた男を拘束する。
「恐れる必要はありません。貴方はただ、天使の導きの儘に、罰を受け入れなさい。既に貴方は赦しを得ているのですから、心を穏やかに、己の魂が浄化されていくのを楽しみにしていればよいのです。其の内に、貴方の魂は救われます」
嗚咽を噛み殺しながら引き摺られるように連れ去られていく痩せこけた男の背を見送ることなく言葉を残し、クラウディオは立ち去った。
終
20191104
20201122(加筆修正)
柊木あめ