【自殺志願者とユキトの話】
死に場所を求めて家を飛び出したのは、突発的な出来事だった。どんなに周囲から明るい言葉を投げ掛けられても其れを受け入れなければ余計な言葉を受ける事になり、幾度となく笑顔を浮かべて明るく前向きな言葉に賛同の意を示してきたがもう限界だった。事ある毎に他から干渉され、心配と呼ばれるモノの下で相手の意見を押し付けれられて。結局誰もが自分の方がつらいと思っている。誰も死にたい気持ちを許容してくれる者は居ない。うっかり口から漏らそうものなら、まるでそう思うことが悪とでも言わんばかりに責められる。
「……っ――」
ふと足を縺れさせて転倒した。反射的に受け身を取った心算だが其れは不完全で、着いた掌が。掌を支える手首が。擦った頬が。肘が。膝が。ヒリヒリと痛む。其の全てが動けないほどの痛みではないが、動かない理由にするには十分な痛みだった。
「…………」
我慢できないほどでもないが、泣く理由にするには十分だった。
「っ――」
今まで押さえていた感情が、大粒の滴となって地面に落ち、消えていく。
「……っ――」
死にたいと願い、死ぬ為の場所を探していた筈なのに、心の底では生きたいと叫んでいる自分に気付く。
―― でも、どうやって? ――
繰り返し、繰り返し問い掛ける。
―― 生きていても迷惑しか掛けないのに。――
―― 死んだ方が周りの為になるのに。――
―― 別に自分が居なくても変わりは幾らでも居る。――
幾度自問自答を繰り返せど望んだ答えは返ってこない。
「……もぉ、くたびれた……」
どんなに思考を巡らせ歩もうとしても、結局振り出しに戻る始末。
「もぉ、嫌だよ……」
明るい未来を夢見ていた筈なのに、眼前に広がるのは先が見えない暗闇だけ。手探りで歩みを進めるも、先にあるのは現状が続く恐怖。改善策が見えぬ不安。無気力。惨めさ。理想の自分が見下し嘲笑う未来。
「死にたい」
―― 本当は生きたいのに。――
「死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい」
耐える事も、続ける事も、希望を持ち続けようとする事も、考える事も、疲労する。
「死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい――」
本当は逃げたいだけなのに、単調な単語だけが脳裏を埋め尽くしていく。
「誰か助けて!」
悲痛な声が叫ぶ。だが答える声はない。
「…………」
いつまでも此の儘でいるわけにもいかず、上半身を起き上がらせた。動くと損傷個所が一気に存在を主張するように再度痛み出す。
「……其れにしても、此処は……」
ふと気付けば此処が廃墟のような雰囲気をした石造りの建物に囲まれた場所であることが分かる。壁を覆う蔓科の植物は地まで這い、豊かな葉の間から舌状花冠のような白い花が咲き誇っており、複数の蝶がひらひらと優雅に舞っていた。羽ばたく音が聞こえそうなほどの静寂に満ちた空間はまるで――。
「彼の世、かな?」
「残念。現世デス」
予想に反して聞こえた声にビクッと肩が跳ねる。キョロキョロと周囲を見渡すと、前歩にあるアーチ状の出入口を満たす暗闇にぼんやりと人影のような物が見えた。
「死はいつでもアナタに寄り添い、アナタの生を見守ってイマス」
一歩。また一歩とゆっくり歩み寄ってくる影の持ち主が完全に暗闇から出てくることはないが、漆黒のローブを纏い深くかぶったフードで目元を完全に隠していることは把握できた。唯一表情が窺える口元に浮かぶ上弦の月が更に言葉を続ける。
「死にたいと願うコト自体は罪ではナイ。誰だって苦しくて逃げ出したい時がアリマス。全てを投げ出シて、根本的な問題カラ目を背けたくなるコトも」
「でも、死にたいと願うのは甘えだって――」
「アナタは誰よりも、自分と呼ぶ存在がツライ環境下で頑張っている事を知ってイル筈デス。そシて誰もが同じ境遇に生き、同じ思考で物事を考えてイルわけではナイ。他者が抱いた感情の押シ付けは、サゾヤ苦シかったデショウ」
落ち着き払った声音に感情はないが、共感を見い出し胸が熱くなる。
「時に他者の声に耳を傾ケル必要はありマス。ケレド其の全てに耳を傾ケル必要もありマセン。デモ、忘れなイでクダサイ。如何なる生者も辿り着く先は死デス。そシて死はいつだってアナタと共に在るコトを」
言葉は続く。
「僕はいつだって、アナタの生を見守っていマス。アナタのナカにアル生きたいと願う気持ちが潰えタラ、また会いマショウ」
穏やかな微笑を口元に浮かべた儘、眼前の人物が其れ以上の言葉を発することはない。
「タナトス様!」
ふと、遠くて近い場所から声が響く。
「さぁ、お行なサイ。見付かったら厄介デス」
「タナトス様! 何処に居らっしゃるのです!?」
足音がすぐ其処まで迫っている。
「……道を忘れマシタカ。其れナラ仕方ありマセンネ」
「うわっ――」
突如として足元に現れた黒い闇。
「Arrivederci」
一瞬にして視界を覆われ、落ちていく。触れ合う冷やかなぬくもりに、不思議と得体の知れない安堵と安らぎに満たされた。
暫くして遥か遠く、小さな白い点が見える。其れはやがて目が眩むほどの光へと変化し身が焼かれるような熱に包まれた。
「っ――」
ピーと無機質な機械音が聴覚を満たす眩しい光の中、ビクンと全身が跳ねる。数秒後、ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。と単発的な機械音が鳴り出した。ぼんやりと歪む視界の中で数人の白い影が動き、よく聞き取れない言葉が反響する。
「■■さん! 聞こえますか?」
ペチペチと誰かが頬を叩いた。
「聞こえていたら返事をしてください!」
「……は、い……」
声帯が絞り出した声は酷く掠れている。
「■■さん、聞こえたならもう一度――」
鼓膜に響く全ての音が反響し、グニャリと歪む。
「もう少し、眠らせて……」
穏やかな眠りに落ちていく。
終
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なまねこ様から頂いた黒ユキトの絵に触発されて書いた物になります。
20191127
20201122(加筆修正)
柊木あめ