この話は、自作ゲーム【Replicare-散歩-】の作中で行方不明になっていた女性を見つけたENDに関する話です。
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【Replicare-散歩- Side Story 1】
グプトの森は、深い、深い。迷いの森。セレナの田舎町を、ぐるっと取り囲む遊歩道の上しか、安全が保証されていない。其れでも人々は、ふらっと森を訪れて、ふらっと姿を消していく。
いつしか人々は噂した。人を隠すならグプトの森が最適だ。
場所はセレナの入り口を出た先に在る広場。遊歩道の案内や、森で取った写真などの掲示板等が在る。
「さぁて、始めマスカ」
大きく背伸びをしながら言うのは、十八歳くらいの少年、ユキト。裾の長いローブ(ダブルファスナー付きで前部分の開閉が可能)を纏い、深くかぶったフードと長めの前髪で目元を完全に隠し、窺える表情は口元のみ。いつも上限の月が浮かんでいて、何を考えているのか把握しにくい。たまにチラッと見える首元には、隙間なく包帯が巻かれており、頬は不健康なまでに白かった。
「ユキトが居るなら、僕は要らない気がするんだけどなぁ……」
そう言ったのは、日焼け知らずの中性的な美貌が明るく、緋色の虹彩をもつ黒髪の青年、澪。薄墨色のジャージと白いスニーカー姿は、丸でジョギングにでも行くような格好だが、従来の人間よりも感覚が優れている二人が呼び出されたのは他でもない。少し前に、グプトの森の中で遺体を発見したとの訴えがあったからだ。
「もシかシタラ、予想外の拾いモノがあるカモ、デス」
「そうだねぇ。なんか、そんな気がする。じゃあ、僕は反対側から行くね」
澪はインカムを装備しながら、歩きだす。
「あの……」
不安そうな面持ちでユキトを見るのは、気が弱そうな金髪碧眼に眼鏡の青年。恋人とセレナを訪れた観光客だが、三日前に喧嘩別れをしてしまい、中々宿へ戻ってこない恋人の身を案じて自警組織のSiriusに捜索を依頼した人物だ。
「彼女、鬱が酷くて……」
「そうなンデスネ」
「凄く寂しがり屋で、僕が居ないとダメなんです。だから、僕も一緒に行かせてください!!」
眼鏡の青年は、縋るようにユキトの腕を掴む。
「気持ちは解りマスケド、グプトの森は〝迷いの森〟トモ呼ばれてイテ、其れなりに危険なンデスヨ。足手纏いになるので、おとなシく宿で待ってイテクダサイ。そもそも、目撃された遺体が彼女だなンて言ってマセン」
「足手纏いになるのは百も承知です!! 彼女じゃないなら、それでもいいんです!! でも、もしも彼女だったら……? 彼女には、俺がいなきゃダメで――」
「ハァ。残念デスガ、彼女サンはもう亡くなられてマス」
ユキトは眼鏡の青年の言葉を遮り、続ける。
「アナタは知ってイル筈、デショウ?」
そう言った瞬間、眼鏡の青年は蒼褪めていく。
「なっ、何で僕が彼女の居場所を知ってるんですかっ!? 彼女が帰ってこないから、心配して捜索依頼までしたのに!!」
「何故、命を奪ったアナタが、態々捜索依頼を出すンデス?」
「なっ、何を言い出すかと思えば!! どうして彼女を、僕が、殺さなくちゃならないんだ!?」
目を見開きながら声を荒げる眼鏡の青年は、直ぐに目を泳がせながら、ユキトから手を離すと右手の親指の爪を噛み始めた。
「アナタの理由なンて、僕には関係ナイデスケド――」
ユキトが言うと、眼鏡の青年はピタッと動きを止めてユキトを見る。
「彼女がずっと、囁いてくるンデスヨ。『貴方が私を殺した』って」
「何をバカな事を……! 霊が見えるなんて、神の代行者じゃあるまいに!!」
神の代行者。其れは、最も古い信仰と言われている、天使信仰を主軸に活動している宗教組織。嘗ては世界全土に拠点を有していたが、時代の流れと共に信仰が廃れていき、今では北のギルダ大陸でのみ活動しており、ギルダ大陸出身者なら、誰もが一度は触れる信仰だ。
「元、代行者デス」
「嘘だっ! 君のような黒髪はギルダ出身者じゃない!!」
「信仰は自由ダカラ、何処出身とか関係ナイデスネ」
アハハハ。と笑いながら、ユキトは歩きだした。
「まっ、待って!! 置いていかないで、くださいっ!!」
足を縺れさせながら、眼鏡の青年がついて来る。
ユキトの前を滑るように進むのは、緩く巻いた黒髪を躍らせた透き通る女性。一糸纏わず、軽やかな歩調で先導する。
初級の散歩コースから道を外し、いつしか中級・上級コースをも横切り、森の深い場所へと入り込んだ。どれほど進んだか分からなくなった頃、不意に彼女が走り出し、右の茂みに姿を消した。
急に駆け出すユキトの背を、眼鏡の青年が文句を言いながら追い掛る。ガサガサと茂みを掻き分けて進んだ先に、彼女は居た。
「うっ……!!」
眼鏡の青年は其の場に蹲り、嗚咽を漏らす。
呆然と立ち尽くす彼女の足元に横たわる、一糸纏わぬ女性の遺体。腹部は大きく裂けて内臓が引き摺り出され、散らばっていた。おそらく、森に住む鳥獣たちが食い散らかしたのだろう。
二つの眼孔もぽっかり穴が開き、大きく開いた口からも、耳孔からも、鼻孔からも、蛆虫が蠢いているのが窺える。ピチャピチャピチャピチャ。と小さく聞こえる音は、虫たちの咀嚼音。まるまる肥った白いモノが一匹、コロンと穴から転がり出た。
『…………』
透き通る彼女の周囲を、うっすらと黒い霧が漂い始めた時、パン! と澄んだ柏手の音が響く。音霊は波紋のように広がり、黒い霧を晴らす。
「アナタの憎シみは、察スルに値シマス」
ユキトは、ゆっくり語りかける。
「デモ、憎シみは魂を汚し、未練とナリ、アナタの霊を此の地に縛り付けてシマウ。穢れた魂は、繰り返す輪廻のナカで癒える事はなく、アナタの行く末に暗雲を齎シマス」
『…………』
「逆を言えば、アナタが其れダケ、彼を愛シてイタ証拠デスネ」
ユキトをじっと見据える彼女の窪んだ眼孔から、赤黒い液体が溢れ出す。
「来世で、幸せになってクダサイ。今ナラ此の森カラ、アナタを救えマス」
手を差し出した。
「此の儘、未練に縛ラレて森に閉ジ込められたい、デスカ?」
『…………』
透ける彼女は眼鏡の青年を一瞥する。
薄っすらと目に涙を浮かべながら、時折嗚咽を零して遺体の周辺を四つん這いで歩き回っていた。耳を澄ませると、「無いっ、無いっ!! どこだ? どこにいったんだ?」と、譫言のように繰り返しているのが聞えた。眼鏡の青年は、どうやら何かを探しているようだ。
「さぁ、逝きマショウ」
『…………』
ユキトに重なる華奢な手が、より一層、透き通る。
ユキトは唄う。今は失われた古い言霊で、腕に抱いた彼女の御魂の癒しを、救いを祈り、穏やかであれるよう願い、謳う。
眼鏡の青年は気付かないだろう。たった一人、取り残された事に。別の女性に送る筈だった指輪を探す事に必死な彼は、死臭に引き寄せられた獰猛な獣が背後から近付いてくる事に。
「ぎゃぁぁああああっ!!」
気付いた時には、もう遅い。
眼鏡の青年が居た場所に、新鮮な命の海が一つ、広がった。
終
20230117 柊木あめ