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【練習文①】


 

 天使と悪魔の抗争が長きに渡り続く世界で、人間は二つに別れた。天使信仰の下に正義を翳し悪を排除しようと武器を持つ者。悪魔を崇拝し暴虐無道の振る舞いで我が道を歩む者。最初の頃は中立を保っていた人間達も一定数いたが、抗争が激しくなるにつれ二極化していったのだ。

 

 

 

 ある日、天使信仰の総本山である大聖堂に、大司祭をはじめとする上層部が集まった。重々しいほどの神聖な空気のなか、粛々と儀式は進行する。

 

「我等が神よ。どうか、悪に打ち勝つ力を授け給え!」

 

 目が眩むほどの光りに満たされ、水風船が弾けるように粒子が飛び散り空気に消えた。騒めく会場。複雑な魔法陣の上に一人の女性が横たわっている。まるで死体のようにピクリとも動かなかった彼女は、突如、ビクッと跳ねるように起きた。手入れを怠っているであろう黒く長い御髪の隙間から見える黒い目は憂鬱げで、赤みのある白い頬には爛れたぶつぶつが浮んでいる。子豚ほどではないが肉付きが良さそうだ。ゆっくりと周囲を見渡す彼女が不安や恐怖を浮かべているのが仕草からよく分かった。

 

「神は私達を見捨てはしなかった!」

 

 大司祭様が声をあげると歓声が湧きおこる。

 

「ようこそ、聖女様」

「え? は? え?」

 

 困惑する彼女をよそに大司祭様が恭しく聖女様を立ち上がらせると、歓声はさらに大きくなった。

 

 

 

    ※    ※    ※

 

 

 純潔を保守するという名目で聖女様の世話は女司祭達に言いつけられた。誰も不満を漏らすことはなく献身的に世話を焼く。彼女は神が与えたもうた救世主。我等が天使様の下で結束する為の楔となる、大切なお方なのだから。お寛ぎいただく為に最上級の部屋を用意して、御身に穢れを溜めない為に天使様から流れた蜜のみをお召し上がり頂き、毎日朝から晩まで禊を行なう。全ては我等の救済の為に。

 

「出して! ここからだしてよぉおおおおおおおおっ!」

 

 ドンドンドン。扉を叩くけたたましい音が響く。

 

「はしたないですよ、聖女様。明日も朝から禊の儀式が行なわれます。早く休まれてください」

「お願いします、何でもするからここから出してください! こんな生活、もう嫌あぁああああああああああああっ!!」

「聖女様ともあろうお方が我が儘を申してはなりません」

 

 お労わしや聖女様。薬を処方して差し上げることが可能なら、ヒュプノスの誘いも受けやすいことだろう。

 

「ご自身でも穢れを溜めぬよう、努力なさってください。そうすれば、禊ぐ期間も長引いたりはいたしません」

「いやぁ……もう、いやぁ……」

 

 すすり泣く声が聞こえる。

 

 

 

 半年ほど経ったある日、聖女様は人間性を失った。大司祭様が仰るには、焦点が定まっていない視界は私達には見えない霊的な世界を映し、私達の祈りを聞き届ける耳は天使様の声を聞き、泣き言ばかりを綴っていた口は高音の耳鳴りのように聞こえる天使様と同じ音を発っしているそうだ。

 

「期は熟した」

 

 大司祭様は満足そうに微笑み、明日の夜明けに儀式を行なうことが決定した。

 

 

 風が吹き荒れ、空高く雷鳴は轟き、黒雲は大粒の雫を降らして大地を濡らす。蝋燭の灯が不安定に揺れる大聖堂。閃光がステンドグラスの影を落とした。より複雑さを増した魔法陣の中心に佇む産まれた儘の姿を晒しステンドグラスに描かれた大天使ルキフェルを見上げる聖女様は、長きに渡り摂取した天使様の蜜と禊によって無駄が浄化され、美しい。

 

 聖女様召喚の時と同じ顔ぶれが集まり、重々しい神聖な空気の中で神降ろしの儀式が執り行われた。誰もが口遊むのは、一言たりとも間違いを許さない最古の呪文――嘗て神が天降り、人の肉身に宿る為に使った物らしい――を大司祭様が独自に改善したものだと聞いている。

 

 

「                               !!」

 

 

 聖女様が甲高い悲鳴を上げたのと、激しい音と共に稲妻がステンドグラスを砕いたのはほぼ同じタイミングだ。稲光を反射した硝子片が研磨された宝石のように煌々輝きながらと私達に降り注ぐ。鋭利な刃編は容赦なく肉を裂き、鋭くえぐる。

 

 

「                             !!」

 

 

 聖女様の両目に突き刺さる大きな硝子片。握り締めた掌から赤黒い蜜が溢れ出す。躊躇なく引き抜かれた先端に、充血した眼球が刺さっていた。ブチブチと視神経を引き千切る音がする。

 

 

「                               !!」

 

 

 天使様が紡ぐ音と同じ耳を劈くような高音を発しながら、聖女様の御身が変形し始めた。長く伸びた首はひしゃげ、窪んだ両の眼光からは血の涙を流し、ひたいに浮かぶ二つの目は澄んだ青い虹彩を持っている。白い皮膚は光りのヴェールを纏っているように蒼白い。黒く長い御髪はシルクのような金が雑じり床に引き摺るほ。両手足は枝のように細く歪に伸び、女性の象徴と言わんばかりに二つの乳房はたわわと実り、男性の象徴と言わんばかりに反り勃つ陰茎を生やしている。

 

「成功した」

 

 雷光が照らすソレは、全体的な見た目は人であれ人と呼ぶにはあまりに歪で、天使と呼ぶには悍ましく、悪魔と呼ぶには美しくお優しそうな顔立ちをしている。人骨を組み合わせたような両翼を持つソレを眺め、片目を失った大司祭様は患部を抑えながら不敵に笑う。

 

「我等が神よ……」

 

 大司祭様が片膝を床に着き恭しく頭を下げると他の者達も倣う。

 

「我等を救――」

 

 シュルシュルと生える四本の腕の内、最も美しい腕が大司祭様へ伸び、頭部を掴む。口元へ運んだ瞬間、唇が大きく避けて鋭い牙を生やした顎が飛び出し腹部に食らい付いた。

 

「っ――」

 

 肉が食いちぎられ臓物が溢れ出す。阿鼻叫喚とはこの事だろう。降り注ぐ血飛沫。食い散らかされた肉片。生肉を咀嚼する音が。命を啜る音が。骨を噛み砕く音が。断末魔が。耳を劈く高音の悲鳴が、聞こえる。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 全ての音がやんだ頃、大聖堂に日差しが射し不気味な影を落とす。

 

「わ……わたしはただ、救われたくて……」

 

 言葉を紡ぐ唇が、両手足が、震える。

 

「わたしはただ、大司祭様を信じて……聖女様が、我等を救ってくださると……」

 

 歪な神を映す視界が滲む。

 

「哀れな、ヒトの子」

 

 ノイズ混じりの声が言う。

 

「お前、の、信仰はどこに、ある」

「…………」

 

 

   終

 

 

  20211208 柊木あめ