天使と悪魔の抗争が長きに渡り続く世界で、人間は二つに別れた。天使信仰の下に正義を翳し、悪を排除しようと武器を持つ者。悪魔を崇拝し暴虐無道の振る舞いで我が道を歩む者。最初の頃は中立を保っていた人間達も一定数居たが、抗争が激しくなるにつれ二極化していったのだ。
ある日、悪魔と天使の抗争が激しくなる一方で、人間世界を天変地異が襲った。雷鳴轟く雲に映し出される黒龍は悠々と空を泳ぎ、激しく揺れた大地は国を分断し、噴煙を上げた多くの山々は木々を、町を灼熱で呑み込んだ。我先にと逃げ惑う人々の叫び。子供の鳴き声。怒声が木霊する。
「うわぁああああああああああああああああああああっ!!」
誰かの悲鳴が響いた瞬間、誰もが動きを止め音源を探す。
「誰か助け――」
視線を移した瞬間、斜め前に居る誰かの声が不自然に途絶える。引き攣った息遣いが聞えた気がした。どよめきが木霊する中、誰かが、言う。
「悪魔……」
鋭い静寂が流れた。
「悪魔だ! 悪魔が出たぞ!」
波紋のように悲鳴が木霊し、人の群れは再び動き出す。まるで、この一角が見えない壁にでも囲われているかのように避けて行く。ドサッと土嚢を落としたような鈍い音に視線を向けると、誰かが地面に倒れていた。
「おいっ!」
不意に肩を掴まれ、ビクッと肩が跳ねる。振り返ると同志が焦りを浮かべて立っていた。
「ボサっとするな! 悪魔に気付かれない内に早く逃げるんだ!」
「悪魔……?」
視線を戻し、絶句する。稲光に照らされた同志は赤黒く濡れた肉片を貪っていた。地面に倒れている誰かも同志だと気付いた途端、血の気が引いていく。
「ほら、早く――」
「なぁ、同志よ」
口の周りを鮮血で汚した同志が、流れいく人の群れを眺め言う。
「天使は、俺達を見捨てたんだ。どんなに祈っても戦況は悪化する一方で、内々でもどんどん貧富の差が広がっていく。上辺だけの信仰しか持たないくせに上に立ち、言葉巧みに善人を騙し金を儲け、間違いを正そうとする者が迫害される。おかしいと思わないか?」
「堕ちた者の声に耳を貸すな!」
「なぁ、同志よ。この状況を見ろ。助け合う心を忘れた哀れな同志たちを! 声高らかに謳っていた他者への愛情、思いやり、助け合いはどこに消えた!」
両手を広げる同氏は声高々に言葉を紡ぐ。
「なぁ、同志よ。お前も、本当は絶望しているんだろ? 平和と幸福の道しるべである天使たちは日々、悪魔たちとの戦いに勤しみ、俺達の願いを聞き届けてはくれない。信仰を続けて何になる? 俺達の幸福はどこにある?」
「黙れ悪魔! お前の思惑にのるものか!」
同志は声を張り上げた。
「天使は俺達に奇跡を見せた。末期癌を取り除き、生まれつきの盲目に色を与え、失った右腕を再生させた。だが、お前の前では奇跡が起きなかった。天使はお前が愛する妻子を無情にも連れ去った!」
「……っ!」
膝から崩れた同志は頬を濡らし、自身の両手に視線を落とす。同志だった悪魔は慈しみを浮かべながら、一歩。また一歩と歩み寄る。
「同志よ。……俺には分かるよ。お前の中に眠る絶望が。悲しみが。やり場のない苛立ちが!」
「神に尽くすことこそが幸福だと信じて、俺は頑張ってきたのに……!」
「可哀想に。お前の頑張りは、何もかもが無駄だった」
「俺は言われた通りに信仰を尽くしたのに!」
「もうやめよう、同志よ。信仰を続けても二度とお前に奇跡は起こらない。どんなに信仰を尽くしたところで、お前の愛する妻子は戻らない! さぁ、手を取れ同志よ! 愛する者達の復讐だ! 綺麗事を並べ、お前を唆した連中から奪ってやれ!」
一際激しい雷鳴が空気を震わせた。
「ああ……ああ……!」
同志の目付きが鋭さを増し、狂気を滲ませる。
「ありがとう、同志よ。心が救われた」
そう言い残し、同志は人の群れへと姿を消した。遠く聞こえる悲鳴が木霊する。
「同志よ、忘れるな。神の考えに善悪は無い。それを決めるのは我等人間だ。哀れな同志よ。どんなに素晴らしい教えを聴いたところで、実践できなければ何の意味がない。今、眼前で起こりうる現象は全て、自分がとった行動の結果だ。裁きの時が訪れたのだ!」
稲光が空を引き裂き、同志だった悪魔を貫いた。肉が焦げるニオイがする。水分が蒸発する音が、湯気が、空気に溶けた。
終
20211218 柊木あめ