「まぁ、何て可愛らしいのかしら!」
「今日からあなたの妹になる、ジョシュア」
「うん! ありがとう、ママ、パパ。あたし、寂しくないわ! お仕事、頑張ってね!」
病床に臥した姉はとても嬉しそうに微笑み、腕に抱いた私へ視線を向けた。
「宜しくね、ジョシュア」
【小さな願い】
「ジョシュア、髪をとかしましょう。それからお洋服も着替えて、お揃いのリボンを髪に飾るの。それから―――」
弾むような明るい声音が言葉を綴る。
「あたしは青が好きなの。パパとママと遊びに行った海が、青くて、キラキラしていて、とても綺麗だったのよ。パパはあたしの金の髪に似合うって、この青いリボンをくれたの。ジョシュアの髪も金色だから、きっと似合うわ。……ほら、鏡を見て。とってもよく似合ってる。ねぇ、ジョシュア。どうかしら?」
サイドテーブルの上から取った手鏡越しに碧眼を見る姉の視線。微笑を張り付けた人形は黙する事しかできず、深い溜息を受け止めた。
「あなたがあたしみたいにお喋り出来たらいいのに……。ねぇ、ジョシュア。どうして、魔パパとママはもう会いに来てくれないの? あたしの事、要らなくなっちゃったの?」
潤む瞳は波打つ海のよう。やがて潮が満ち、瞬きと共に雫が落ちる。啜り泣く声が静かに響く。泣きつ疲れたであろう姉は私を抱いた儘、眠りに就いた。
夜も更けた頃。少し前に見回りに来た看護師によって締められたカーテンの隙間から射す月光が、涙の痕を残した白い頬を優しく照らす。
「人形とはヒトに愛情を教える為に存在する」
不意に聞こえた、低く微かに濁りのある男の声。いつの間にか月光を遮るように影が一つ。男の姿を視界に捉えるべく、ぎこちない動きで首を捻る。
「所詮お前達人形は、ヒトの形を模して作られた寂しさを埋める為の道具に過ぎない事を、努々忘れるな」
―― そんなの、わかってる。 ――
どんなに口を動かそうとも震える声帯は有らず、唇が動く事もなければ硝子で作られた眼球が男の姿を明確に捉える事もない。其れなのに何故、聴覚だけが鮮明なのだろう?
「いいか、よく聞け。お前が其の子に対する情は、彼女の両親が今際に残した願いによるものだ。そして彼女のお前に対する情が、願いが、お前をヒトに近付けている。先にも言った通り、人形は寂しさを埋める為の道具に過ぎない。例え惜しみない愛情を与えられたとしても、だ」
鋭い声音で言い、一拍置いてから、然し。と言葉が続く。
「両親を不慮の事故で失い、本来面倒を見る筈の叔母夫婦にも見捨てられた彼女があまりにも不憫だから……特別に命を与えよう」
―― 命……? ――
「心臓だよ。人形師が祈りを込めて作った心臓には特別な力が宿り、彼女の両親がお前に託した願いを護る。そしてお前が愛される人形であるならば、彼女の助けとなるだろう」
空気中から取り出されたのは脈打つ黒い塊。トクン、トクン。と微かに音が聞こえている。男はひょいっと私を掴み上げ、片手に持っている黒い塊を胴へと近付けた。異物が侵入する不快感を感じた気がする。気がするだけで、胴へ吸い込まれるように消えた心臓が静かに動いている音を実感した。
「もしもお前が人形の性分を忘れて行動した時、俺が責任を持ってお前を始末する」
―― ええ、分かったわ。ありがとう、パパ。――
「ぱ……?」
―― 私を作ってくれたのだから、ママ、かしら? ――
「やめてくれ。お前を作ったのは彼女の両親から依頼があったからで、俺達の間に親子関係はない」
―― あら、残念。じゃあ何て呼べば? ――
「〝人形師〟で構わない」
―― ありがとう、人形師。――
さようならの挨拶をせずに人形師の男は空気に溶けるように姿を消した。
翌日。
「ジョシュア、今日のリボンなんだけど……まぁ、なんて綺麗なリボンなの! まるでモルフォ蝶みたい! あら、ジョシュア。お揃いのリボンをあたしにくれるの? ありがとう。とても嬉しいわ!! ふふっ、素敵なリボンが増えたわね」
人形師の男が置いていったリボンを眺める姉の笑顔が、今ならハッキリとよく見える。
「遅れてしまったけれど、誕生日おめでとう。ですって! 誰かしら?」
添えられた誕生日を祝うメッセージカードも青を基調としていて美しい。
「ねぇ、ジョシュア。知ってる? イフェリアには神様の代行を務める天使様が居て、あたし達を守護してくれているの。毎年、誕生日に神殿へ行って大司祭様から祝福をいただくのよ。でも、もう何年も行けていないの……。元気になったら、このリボンをつけて行きたい、なぁ……」
小さく詰まる息。次第に呼吸が乱れ、姉は激しく咳き込んだ。
「っ――」
吐き出された鮮血が胸元を、手元を汚す。
嗚呼……なんて可哀想な姉だろう。漆黒の大鎌で命を狩り取ろうと、黒い死神の足音がひしひしと迫り来る。
私の愛しい小さな姉。あなたの笑顔が増えるように、私、頑張るから。
あなたが私に注いで呉れた愛情よりも、深い愛情を与えてあげる。
あなたが知らない多くを教えてあげる。
私の大好きな小さな姉。可愛らしい小さな私の姉。
もう少し、もう少しだけ、私を待っていて……。
終
20140409
20210706(加筆修正)
柊木 あめ