獣の低い唸り声が幾重にも木霊する。土煙立ち上る晴天の下、人の姿を忘れた異形と複数の人間達が入り乱れていた。人間達がどんなに武器を用いて異形に立ち向かおうとも傷一つ残すことなく命を散らして逝く。勝敗は明らかで、そう時間を要することなく静寂が訪れるだろう。
小高い丘の上で戦状を眺めていた冷やかな美貌が目を惹く背の高い男――名を〝夕霧〟と言う――の片腕に一羽の黒い鳥が舞い下りた。
『報告。ヴェルダン兵を連れた科学者一行がアルトに滞在シテイルのを発見シマシタ。弟クンとみられる人物は居マセン』
「ご苦労。……いっそヴェルダンに乗り込んだ方が速い気がしてきたのだが」
『其れは……貴方ならば可能デショウ。デスガ――』
「解っている。さて、シュナイザーの連中に恩でも売るとしよう」
言い終わるや否や、夕霧は駆け出した。傾斜をものともせずに駆けおりて高く飛ぶ。何もない空間から自身の身長と同との長さを持つ緋色の刀身が美しい刀――夕霧の愛刀である妖刀〝紅蓮〟――を取り出し柄を握る。絹糸のように艶やかな白銀を揺らし黒衣の裾をはためかせながら猫のように上半身を捻り腕を振るうと鋭い風が地上へ向かい異形達を切り刻む。青紫に変色した異形達の皮膚が無数に裂けると毒々しい色味をした体液を噴射しながら肉身が崩れ、ジュブジュブと小さく泡立ちながら溶けるように消えて逝く。
音を立てず軽やかに着地した夕霧は片足の踵を軸にクルッと振替し、柄を握った方の腕を伸ばした。
「死にたいか」
感情が籠っていない落ち着いた低い声音が言う。彼の緋色が向いた先には血塗れの兵士が一人、息も絶え絶えに横たわっている。緋色の刀身はいつでも其の首を落とす事が可能だ。
「……し、死にたく、ないっ!」
「承知した。ユキト!」
「此処に」
名前を呼ばれ、夕霧の影から姿を見せる黒い影。
「人命の避難を優先しろ」
「承知」
黒い影が兵士を包み、兵士諸共姿を消した。
「さて」
夕霧は刀を構え直す。迫りくる異形の群れを見据えると口元に小さな笑みが浮かぶ。徐々に高鳴る脈拍。緋色の虹彩に浮ぶ縦長の瞳孔が満月のように丸くなった瞬間、踏みだした。ほんの一瞬だけ時が止まったように見えたが次の瞬間には夕霧の姿は其処に無く、数十メートル先まで異形を切り刻みながら移動し、刀身に付着した血脂を払い落す。
其処から先は、まるで舞踏を見ているようだった。流れる白銀の長髪。翻る黒衣の裾。楽しそうな表情。異形達は断末魔を奏でながら朽ちて逝く。あっという間に最後の一体を斬り終えた夕霧は再度刀身に付着した血脂を振り払い、紅蓮から手を離す。地面と接触した瞬間、硝子が割れるような音を小さく響かせながら砕けた緋色の刀身が空気中に溶けるように消えた。
『ご苦労サマデス』
ユキトの使い魔である黒い鳥が言う。
「ああ、ユキトも――」
胴に鈍い衝撃を喰らい言葉を詰まらせる夕霧。右の肺を貫くのは紅蓮と同じ刀身だ。
「久しいな、夕霧」
「っ――」
大きく開いた口から鮮やかな赤い液体が飛び散った。肩越しに振り返ると自身とよく似た冷やかな美貌が視界に映る。刀身を引き抜かれた瞬間、全身の力が抜けてバランスを崩しかけるがなんとか立て直して間合いを取り、再び紅蓮を呼び出し構える夕霧は目を疑った。対峙する男は自身の複製であるが故に其の容姿が瓜二つ――とはいえ若干複製の方が髪色に灰色みが強く、虹彩の色が紅色をしているので区別は可能――なのは兎も角、使い魔が彼の頭に止まっているのだ。
「裏切るのか、ユキト」
『…………』
緋色の視線を受け使い魔は何も言わずに飛び立ち消えた。
「裏切る?」
夕霧の複製、Y‐0100は小首を傾げ言葉を続ける。
「何を言っている。お前が彼にとって不要となっただけだ。夕霧。お前が誰も守れない弱者だからだよ」
Y‐0100は謳い、
「どうした、夕霧。さっきまでの威勢が見えないが?」
嗤う。
「夕霧。お前は霧を見捨てた」
「見捨てた心算は、ない」
「では何故、早く迎えに来てやらない? 自分の事で手一杯のお前は弟に手をかける余裕がないのだろ? セレナと言ったか。弟よりも赤の他人の方がそんなに――」
「黙れ!!」
声を張り上げた瞬間、傷口が一気に塞ぎ緋色の虹彩が水面のように揺らぐ。空気がピリピリと張り詰め眉間に深いシワを刻んで威嚇をして見せる夕霧が持つ二本の尖頭歯が鋭さを増し日焼け知らずの白い頬に複雑に絡み合う赤い模様が浮かび上がった。紅蓮を構えなおして一歩踏み出した夕霧の瞬発力は先程と比べ物にならないほどに向上し、連続して繰り出す其の一撃は重く守りの姿勢に徹するY‐0100を確実に押している。どれ程の時間、一方的に打っただろう。遂に夕霧はY‐0100の手から武器を吹き飛ばし、両膝を着かせて頭を片手で鷲掴む。
「複製は複製らしくオリジナルの陰に居ればいい」
グッと指先に力を入れて爪を食い込ませた瞬間、ビクンとY‐0100の全身が跳ねた。風船のように頭部が膨れあがり日焼け知らずの白い頬に血管が透け、見開かれた瞼から眼球が零れ落ちそうだ。水面から餌を求める鯉のようにパクパク開閉を繰り返す口から苦し気な音が漏れる。抵抗しようにもビクビクビクビク小刻みに震える四肢を動かすことができないのだろう。パァン! と軽快な音を立てて破裂した。夕霧は静かに見下ろし飛び散った肉片を踏みつぶす。
「夕霧サン!」
肩を揺するとビクッと小さく震えながら目を覚ます夕霧は怪訝を浮かべながら執務室内を見渡す。
「……夢、か」
安堵を浮かべた溜息が漏れる。
「魘されてマシタヨ。大丈夫デスカ?」
「問題ない。……ユキトが居てくれるなら」
緋色から読み取れる感情は――。
「僕は此処に居マスヨ。珈琲を淹れマス。休憩、シマショウ」
「ああ。顔を洗ってくる」
「ハイ」
席を立ち住居スペースに向かう背を見送った。
終
20210622 柊木あめ