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くまの村


 ほんのり残酷描写があります。ご注意ください。

 

 

――――――――――

 おいらはヒグマの氷熊丸(ヒグマル)ってんだ。全長五メートル程度で右目をニンゲンに奪われた可哀想な野生動物。ただ山の中を散歩していただけなのに、草陰に隠れていたニンゲンがおいらを殺そうとしたんだよ。酷い話だべ?

 

 おいらのおっとうとおっかあもニンゲンに殺されたんだ。そりゃあ、悔しくて、腹立たしくて、目が合ったニンゲン達に復讐しまくって沢山の連中を胃袋に納めたさ。でも、ある日に気付いちまったんだ。其れじゃあやっていることが憎いニンゲンと同じだって。

 

 其れ以来おいらはニンゲンを襲うことをやめて山奥に小さな村を造った。ただ生きる為に食べ物を探していただけなのにおいら達を殺そうとするニンゲンに家族を奪われた同胞達を集めて、栗や林檎、柿やドングリ等の木を沢山植えて育て、人里に迄下りなくていいように沢山工夫をしたんだ。

 

 とても平和だった。勝手に野山を削りおいら達から食べ物だけでなく済む場所や家族を奪い、挙句の果てに一方的に被害者面をして自分達の利益の為においら達野生動物を抹消しようとするニンゲンに対する怨みも、憎しみも、迫害される憤りも、悲しみも全部、忘れることができたんだから。

 

 

【くまの村】

 

 

 暑い夏を乗り越えて実りの秋が山を訪れた。木々は葉の色を緑から黄色や赤へ変色させ、地面を歩くと枯葉がサクサクと音を立てる。

 

「今年も沢山実ったな!」

「ほら見て! 美味しそうな林檎が沢山なったわ」

「柿も美味そうだぞ。猿達にも分けてやろう。いつも温泉を分けてくれるから」

「ほら子供達。お前達は低い枝の物をお取り。高い枝に実ったのは鳥達の分だ」

 

 時に食物連鎖で消える命はあるものの、彼等他種族同士は持ちつ持たれつ暮らしている。此の世界に生きる動物達は遠く海の向こうにある世界に暮らす野生動物と違って知っているのだ。相手がどの程度捕食することで絶滅してしまうかを。故に悪戯に命を奪うことはない。

 

「皆が大事に育てたから木が応えてくれたんだ。皆、感謝を忘れちゃなんねぇぞ」

 

 氷熊丸が言うと子供達が声を揃えて、はーい。と言う。

 

「キーッ! 大変だっぺぇ!」

 

 お山の大将こと大猿親分がゴリラのような動きで駆けて来た。

 

「どうしたんだい? お山の大将!」

「ニンゲンだ! ニンゲン達が来ちょるんよぉ!」

「莫迦な! 此処はかなりの山奥さぁニンゲンが入れっこねぇ」

「んだんだ、おめぇ狸に化かされたんじゃねぇべかぁ?」

「なんだいなんだい、騒がしいねぇ!」

「あ、雉姐さん!」

 

 バサバサと羽ばたき氷熊丸の頭に着地した一羽のデカい鳥。一匹狼の雉姐さんだ。

 

「お山の大将がこんな辺鄙な秘境に迄ニンゲンがやって来たって言うんだよ」

「ニンゲン? ……そう言えば、作業服を着た汗臭いオヤジとスーツ姿のイケメンとマタギが地図見ながら歩いていたような……」

 

 雉姐さんが言ったニンゲンの特徴に氷熊丸は心当たりがあった。

 

「氷熊丸大変だよ!」

 

 メスのヒグマが血相を変えて四つ足で駆けて来る。

 

「どうしたんだ燈久(ヒグ)ママ!」

「子供達が! 太郎と次郎が掟を破って村の外に出ちまったんだよぉ!」

「なんだって!?」

「今旦那が捜しに行ってくれているんだ」

「よし分かった! いいか、皆。おらが子供達を捜しに行っている間、裏の洞窟に隠れちょるんだで! いいな!」

 

 氷熊丸はそう言い残し、ドシン。ドシン。と地響きを建てながら四つ足で走り去っていく。麓に近付くにつれてガサ……ガサ……と立てる音を最小限に抑え、地面に鼻を寄せながら仲間の匂いを辿る。

 

 

 パァン! 

 

 

 乾いた音が響き木々の間から鳥達が複数飛び立った。続けざまに、パァン、パァン! と音が続く。直ぐに音が鳴る方向に向かい絶句した。子供達を捜しに来ていた三メートルもある久万太郎が地に伏したのだ。

 

「此の時期は冬眠前だから腹ごしらえの為に熊も狂暴で――」

 

 硝煙立ち上る銃口で久万太郎を突いて死を確認するマタギは偉そうに言葉を綴る。

 

 

―― 久万太郎はただ子供達を心配していただけなのに! ――

 

 

 沸々と湧き上がる怒りの中、ふとニンゲン達の直ぐ近くに子熊が二匹居るのが見えた。考えるよりも体が先に動き、気付いた時には氷熊丸の鋭い爪が一人のニンゲンを引き裂き蘇芳の花を咲かせて花弁を散らす。

 

「グゥルルルルルルルル」

 

 ずっしりとした重圧を湛えながら仁王立ちになった氷熊丸は真っ直ぐにマタギを睨む。ジッと視線を氷熊丸に向けながら猟銃を構え、ゆっくりとスーツの男を後退させ逃がすマタギに牙を剥き出しに喉を鳴らして低く唸る。パァン! と響く乾いた音。右肩を鉄の塊が狙い身体を埋めた。一瞬の痛みに身震いし、氷熊丸は更に低く唸り四つ足でマタギに接近する。

 

 パァン……パァン……!

 

「ッ――」

 

 残りの左目と引き換えにマタギを鋭い爪を引っ掻き捕らえ、くたびれた人体に黄ばんだ牙を突き立て引き千切る。何度も、何度も、よぼよぼの人体に爪を指し、バリバリと骨を噛み砕き、クチャクチャと血肉を啜る。そんな様子を見ていた子供達も氷熊丸に倣いもう一人のニンゲンを爪で転がしたり引き裂いたりしながら少しずつ齧り付き味を覚えていく。

 

「坊!」

 

 村に帰ると大勢のヒグマが出迎えた。

 

「ニンゲンを食ったのかい?」

「……久万太郎が殺された。きっと、其の光景を――」

 

 燈久ママは子供達を抱き寄せペロペロとニンゲンの血で汚れた毛皮を舐める。

 

「氷熊丸! お前、其の目――」

「目は見えなくとも皆の声が聞こえるし、匂いで分かる。慎重に歩けば問題ねぇ」

 

 氷熊丸はそう言い残して巣穴に入っていった。

 

 

 数日後。

 

「大変だ! 山狩りだ!」

「ニンゲンが沢山来たぞ!」

「犬のくせに飼い馴らされやがって! アイツ等に誇りもクソもねぇのか!」

 

 此の日の山はとても騒がしかった。麓の方からニンゲン達が枯葉を踏み締め歩く音が聞こえる。すっかり野生を忘れて牙を抜かれた犬共の息遣いが聞こえる。威嚇をしているのだろう、耳障りな空砲がいくつも木霊する。

 

「お前達は今すぐ逃げる準備をしろ」

 

 氷熊丸は言った。

 

「此処が見付かるのも時間の問題だべ。もしニンゲン達に見つかったら……。そうなる前に逃げるんだ! いいな! 絶対に逃げ延びろ! そして次世代に伝えるんだ。ニンゲンの恐ろしさと醜さを!」

 

 氷熊丸は言い残して足早に四つ足で去って行く。

 

 ドシン、ドシン、と地響きを轟かせて斜面をくだり、木々を避け、山狩りに来たニンゲン達に牙をむく。ワンワン! と喚く猟犬達も氷熊丸に襲い掛かるが太く逞しい腕で振り払う。キャンキャンと甲高い悲鳴をあげながらくったりとする猟犬達。乾いた銃声がけたたましく鳴り響き踊り狂った弾頭が氷熊丸を狙う。痛みと恐怖を乗り越えて氷熊丸は蘇芳の花を沢山咲かせていった。

 

 

 とても長い時間をニンゲンと対峙していたような気がする。気付いた頃には自分の鼻息だけが聴覚に聞こえるほどに静かだった。周囲を満たす血の匂い。人間達からは命の音が一切聞こえない。

 

 ふと、遠くの方でパァンと乾いた音がする。一抹の不安を感じた氷熊丸は踵を返して山を駆け上がる。ドシン、ドシン。と地響きを轟かせ、痛む身体に鞭を打ち、湧き水のように流れる命を零しながら、一目散に村へと向かう。

 

「…………」

 

 其処はとても静かだった。

 

「…………」

 

 鼻孔に届くは同胞の命の匂い。其れともよく知っている何かが焦げたニオイ?

 

「…………」

 

 近い場所で聞こえる荒い息遣い。其れはニンゲンのモノだ。相当負傷していることだろう。其れでもなお、氷熊丸を銃口で狙う。

 

 パァン!

 

 乾いた音が一つ響く。

 

 ドサッと血に落ちたのは雉姐さんだった。ずっと隠れて様子を見ていた雉姐さんが氷熊丸を庇い自ら死を選んだのだ。其の隙に人間を仕留めた氷熊丸は雉姐さんを食べた。羽根を周囲に撒き散らせながら些か乱暴に引き裂いて血肉を貪り、バリバリと骨を噛み砕く。

 

 氷熊丸は泣いていた。もう色や形を映すことのない暗闇に閉ざされた視界の中で、氷熊丸は静かに涙を流した。重たい足取りで村中を歩き回り生存熊を捜したが誰一人として生きているものはなく、多くのニンゲン共の屍を無残に引き裂いてまわる。

 

「嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼――」

 

 叫び声をあげながら地に伏せる氷熊丸。

 

「可哀想に」

 

 ざわざわと声がする。

 

「酷い」

「ニンゲンは野蛮だ」

「氷熊丸可哀想」

 

 お山の大将率いる猿軍団が、野兎達が、狸達が、狐達が、山鳥達が、氷熊丸を取り囲む。

 

「…………」

「…………」

 

 そんな動物達の群を割って近付いてくる二つの気配。

 

 

―― ああ、お前達は生きていたのか。よかった。――

 

 

 顔に寄せられる頬。ペロペロと毛皮を舐める舌。親に甘える時に発せられる声を最後に氷熊丸は息を引き取った。

 

 

  終

 

 

 

20180914

20210105(再掲)

 

 柊木 あめ